クラシックギターでふと思い出したこと
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村井 啓  (ギター部創立時2年生  昭和34年入学)
2008年2月3日

1.はじめに
先日、ハンドボールのオリンピック出場を目指して、韓国と日本で試合が行われ、残念ながら負けました。
日本の代表選手の主力選手が、ハンドボールの魅力を、一般に知らせたいという信念を熱心に語り、そのための努力をしていることが報じられております。

自分でギター練習を始めた当初から、また特に東北大学ギタークラブでの発表会でも、ギターの素晴らしさを皆さんに知って欲しい、またギターのレベルをピアノやヴァイオリンのようにしたいという一心で出来るだけよい演奏をと思っていたことを、ハンドボールの人の話で思い出しました。

高校卒業後に本格的にクラッシックギターを始めた当時の日本のギター界について自分の感じていたことを書いておきたいと思います。(1957年から1967年ごろまで)人名は、敬称を殆ど省略させていただきます。

最近のギター界の隆盛は素晴らしいものだと思います。その具体的な成果は、現代ギター2008年1月号の付録のDVDを見れば明らかかと思います。

現代ギターが発行される以前のギターに関する雑誌は、「ギターの友」、「ギター音楽芸術」、「ギター日本」、その他は私の手元にはありませんが、「アルモニア(仙台)」などいくつか発行されております。

また、1960年以前に来日した外国のギターの名手は、セゴビア、ヘスス・ゴンザレス、イエペス、その他女流名手数人にすぎません。

当時、日本人ギターリストで聴いた人は、阿部保夫(演奏会)、小原安正(放送)、幕田慶司(放送・生で演奏を何度も)。
数年後東京に出でからは、1963・1964年に、京本輔矩、他当時、東京文化会館で行われた日本人のギターリサイタルは殆ど聴いたと思います。

しかし、目の前で演奏していただいた幕田慶司さん以上に感銘を与えてくれた日本人演奏家はおりませんでした。
その後、日本人ギターリストで感銘を受けた人は、松田二朗さんです。数回、第一生命ホールなどでリサイタルを聴き、日本人でも素晴らしい演奏家が出たなと思い、ギターを再開したいと思いました。

ギター演奏のテクニックの完璧さ音楽解釈の素晴らしさでは、幕田慶司さんが優れ、テクニックの完璧さにはやや欠けるものの音色の素晴らしさ、演奏家としての魅力は松田二朗さんかと思っておりました。

1963.1964年に来日したジョン・ウイリアムス、オスカー・ギリアなどは、当時は名前も知らず、また演奏に来日したことも、情報がなくまたギターからも全く離れており、知りませんでした。

1965年、ジュリアン・ブリームが東京文化会館大ホールでの演奏会は素晴らしく、ギターをもう一度練習したいと強く思いました。
(しかし、腱鞘炎とは知らずに練習不足と思って練習した結果、左小指の関節を痛めてしまい、決定的に弾けなくなりました。)

その後のギター界のことについては、現在大活躍のギターリストが多数おり、大変に活況(ギター販売やマスメデアなどでは)を呈していると思いますので、書きません。

2.日本ギター界の転機
日本において、ギター界が、決定的によい方向に変わった演奏会があるように思います。
それは、1967年(昭和42年)12月21日 朝日新聞厚生文化事業団・第一生命ホールの主催で、第一生命ホール で行われた歳末たすけあい慈善音楽会「クラシック・ギターの夕べ」と思われます。

出演者は、当時の若手からベテランの演奏家を含んでおります。その名前と主な曲を書いておきます。    
プログラムを別に添付しておきます)

演奏順

第一部(新人推薦)
1.渡辺範彦  バッハ「フーガ」他2曲
2.佐々木政嗣  ソル「グラン・ソロ」他2曲
3.兼古隆雄  ポンセ「南のソナチネ」他2曲


第二部
1.横尾幸弘  ダウランド「リュートのための4つの小品」他2曲
2.高嶺巌  ポンセ「3つのメキシコ民謡」他3曲
3.中林淳真  自作品より「3つの小品」他2曲
4.松田二朗 ソル「ソナタ作品15-2」他3曲
5.小原安正  江崎健次郎「電子音のための音楽(初演)」他3曲

以上です。

3.演奏者の紹介
演奏者を簡単に説明します。
新人推薦の3人は、その後 各分野で大活躍しております。

渡辺範彦は、数年前に亡くなりましたが、この演奏会の年の6月に19才でジョイント・リサイタル(相手は、その後、リュートに転向し、名リューティストになった佐藤豊彦です。)で、日本のギター界にセンセイションを巻き起こした若手のホープでした。その後の活躍はご存知の通りです。

佐々木政嗣の弟には、佐々木忠(5才から父親に習い、その後パリ国際コンクールで日本人初入賞という栄誉を受け、ドイツの音楽大学で教授をしている)というギターリスト一家といってよいと思います。
しかし、当時のギター演奏は、やや異質な印象を受けました。その後、リュートを転向され、リューティストとして大成されたようです。

兼古隆雄は、1965年第8回および1966年第9回日本音楽コンクール(現在の東京国際ギターコンクールの前身)で続けて、最高位を取った人です。二位は、同様に2年続けて渡辺範彦でした。私の印象では、断然渡辺範彦と思いましたが、聴衆の多くも私と同じ印象のようでした。
しかし、兼古隆雄さんも、当時としては抜群の技量で、素晴らしいものでした。最近は教育が中心になっているようです。

第二部の演奏者について

横尾幸弘、高嶺巌は、当時、上記に挙げた雑誌などで、その知識や音楽に対する情熱は素晴らしいもので、どのような演奏をするのか期待しておりました。
当日の印象では、ギターを弾く上でのテクニックが十分でないように見受けました。
その後、教育、特に横尾さんは「さくらさくら」の作曲で大活躍ですね。

中林淳真さんは、作曲家としても大活躍されていると思います。

松田二朗(現在は名前を晃演と改名)さんは、上記に述べたように素晴らしい演奏でした。しかし、渡辺範彦、兼古隆雄さんと比べると演奏技量では、やや差があり、少し残念だったと思っております。

小原安正さんは、雑誌の発行や、出版物、また1960年ごろ、NHKの放送で夜11ごろから20分程度10回程度か(よく覚えておりません)ギター音楽をレコードを聴きながらお話するという番組がありました。そのときのテーマ音楽を小原さんが担当しておりました。
その素晴らしい声での語りと共に テーマ音楽として演奏されたサンスのパバーヌです。その演奏はこころに染みるとてもよい演奏でした。
当日の演奏は、そつのないものでしたが、新人の二人にはとても叶わないものでした。

しかし、小原安正さんは、日本ギター界を世界的なレベルに引き上げた最大の功労者ではないかと思っております。教育面とギターを社会的に認知させようとしたその努力は大変なものだったということが「ギタリストの余韻」(小原安正著 音楽の友社昭和63年)に詳しく書かれております。

以上に述べたように、この「クラシック・ギターの夕べ」は、日本のギター音楽界をそれ以前のベテランギターリストから若手の優れた名手の時代に代わる分水嶺だったように思います。

4.演奏における啓蒙活動の重要さ
ギターに限らず、日本でクラシック音楽が現在のようなレベルになるには、その楽器を愛し、演奏を徹底的に練習・研究し、かつ教育や啓蒙に捧げた人がいるように思います。
ギター界では、間違いなく小原安正さんではないかと思います。

私が特に、好きな楽器で他の分野での功労者は、次のような人たちではないかと思います。

斉藤秀夫(チェロ・指揮)
吉田雅夫(フルート) 「吉田雅夫 フルートと私」(植村泰一対談 シンフオニア 昭和55年)
多田悦郎(リコーダー) 「リコーダーの奏法」(多田悦郎著 アカデミア・ミュージック 1969年)

ギター音楽も現在のようになるには、先人の努力と情熱があってこそ、ということを現在の若い人、特にギタークラブの人たちに知って欲しいと思い、少々長い文章ですが書いてみました。

ハンドボールの今後の活躍などを期待し、昔のギター界のことを思い出しました。