高橋功著「ギター音楽への招待」に見る仙台のギター史
                            神谷光昭 (昭和46年入学) 

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「ギター音楽への招待」は音楽之友社のもう一度読みたいシリーズで1999年に新装版が刊行され、その時期にギターを再開した私は書店で見つけて迷わず買い求めました。著者の高橋功先生(1907〜2003)は仙台出身。東北帝大独文科を卒業後、京城帝大医学部卒の医学博士であり、ギターの研究家。シュヴァイツァーと一緒にアフリカで医療奉仕に尽力された方であり、バリの国際ギターコンクールの審査員としても活躍されていました。
高橋功先生は東北大学のギター部とは直接的な関係があるという訳でははないと思いますが、仙台から日本のギター界、世界のギター界を見守っていた方として、特筆すべき人物であると思います。

 この本の初版は1972年、私が大学2年の時です。当時この本については私は知りませんでしたが、 同期のF君は 彼のホームページで学生時代に読んだ本として紹介しているので、私が不勉強だったのでしょう。 最後の章にギターに貢献した邦人のことが書かれており、武井守成(1890〜1949)、中野二郎(1902〜2000)、沢口忠左衛門(1902〜1946)、古賀政男(1904〜1978)が取り上げられています。大正から昭和初期にかけてのギターはマンドリンと非常に密接な間柄だったようで、これらの人物はマンドリンに貢献した人達でもあります。
以下 本書から仙台に関する記述を要約します。

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 沢口忠左衛門、仙台に生まれ、家の事情で上級学校に進学はせず銀行員となる。マンドリンの名手。東北帝大のマンドリンクラブに手伝いに行ったりしているうちに、次第に仲間が集まって合奏ができるようになり、大正13年に仙台アルモニア合奏団を結成、昭和2年に機関紙「アルモニア」を発行。当時旧制2高の学生であった高橋功は合奏団のコンサートマスターとして抜擢され、また機関紙編集の手伝いを創刊号からしたという。昭和6年の五周年記念に当たって、アルモニアの事業を、年2回の定期演奏会、楽譜の蒐集整備、機関紙と楽譜の出版頒布、海外楽譜文献取次、教授所開設指導促進の五つに大別して、積極的な活動を展開した。この頃の出来事としては昭和4年にアンドレス・セゴビアが初来日し、ギター界に大きな影響を与えている。機関紙アルモニアは仙台にありながら日本各地のマンドリン・ギター関係者から大いに期待され、歓迎されたようである。
昭和10年結核を患った沢口は昭和11年に合奏団を解散し、アルモニアの刊行と楽譜の出版に専念し、心血を注ぐことになる。次第に戦時色濃くなり、誌の出版は困難となり、昭和16年11月、90号でアルモニア誌は廃刊(休刊)となった。戦時下、空襲から楽譜や資料、楽器を守るために家財道具より優先して疎開させた沢口夫妻の苦労と熱意が伝わってくる。沢口は無事に疎開先から戻った楽譜や資料を見るが、それに十分に目を通す間もなく昭和21年、43歳で他界。

戦後、昭和29年にアルモニアを復刊したのは、高橋功である。高橋が昭和21年に復員した時には既に沢口亡き後であった。アルモニアは隔月発行の雑誌で、作曲者や演奏者も曲名など原語で辿れるように作られ、海外でも知られる存在であった。アルモニアの送り先の一つにイタリア、シエナのアカデミア・キジアーナがあった。その縁でキジアーナのセゴビアのギタークラスに、日本から生徒を送らないかという話が来て、高橋の所に出入りしていたギターに熱心な東北大医学部の学生、阿倍慶司(後に幕田と改姓)を推薦しようとしたが、自分は学業優先ということで、兄の阿部保夫を行かせてくれという。阿部保夫は当時古賀政男のギター教室で働いていた。海外派遣ギタリスト第1号の誕生のいきさつが、古賀政男の人柄とともに興味深く書かれている。
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アルモニア誌および沢口氏が命をかけて守った当時の楽譜や文献は、今どうなっているのでしょうか?
アルモニア合奏団は昭和11年に解散とありますが、仙台マンドリンクラブと名を変えて、その流れを現在に継承しているようです(これは同クラブのホームページより最近知りました)。ひょっとしたらマンドリン関係者で古い文献なども継承されているのでしょうか? 当時の資料があるならば是非見てみたいと思います。

私事ですが、私がギターを始めたのはNHK教育テレビのギター教室が始まったのがきっかけで、最初の二年間は阿部保夫先生が講師でした。最初に買ったレコードも阿部先生の珠玉アルバムだったと思います。仙台のアルモニアという雑誌がきっかけで阿部先生がセゴビアのレッスンを受けに渡欧し、その結果、日本にクラシックギターの奏法やいろいろな情報を持ち帰り、その後のギター界に多大な影響を与えたということは、とても素晴らしいことだと思います。また阿部保夫先生の弟の幕田慶司氏は、医者でありかつギターやリュートの研究家であり、その演奏の素晴らしさと技術の確かさで、当時の仙台のギター界に多大な影響を与えたということは、ギター部創設期の諸先輩からたびたび聞くところです。
仙台は今もギターが盛んであると思います。偉大な先達の足跡をふりかえると同時に、今後の若い世代のギターの発展を期待します。